2015年03月13日

アルフレド・ノーベルの遺言状が12日報道関係者向けに公開


スウェーデンの科学者アルフレド・ノーベル(Alfred Nobel)が自らの名前を冠した賞の創設を希望すると記した遺言状が12日、同国の首都ストックホルム(Stockholm)にあるノーベル博物館(Nobel Museumin)で報道関係者向けに公開された。翌13日から始まる展示会「レガシー(Legacy、遺産)」で初めて一般向けに公開される。

★アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使った。自然界には存在しない元素ノーベリウムはノーベルの名をとって名付けられた。Dynamit Nobel やアクゾノーベルのように現代の企業名にも名を残している(どちらもノーベルが創業した会社の後継)。

名前の発音は、スウェーデン語では[ˈalfrɛd ˈbæːɳ(h)aɖ noˈbɛl] 「アルフレド・バーナド(バーンハド)・ノベル」(太字はアクセント)となり、第二音節にアクセントがある[1]。また、英語発音も[ˈælfred ˈbəːrnhɑːrd nouˈbel](アルフレド・バーンハード・ノウベル)のように、第二音節にアクセントがある。ただし、ノーベル賞 the Nobel Prize は英語発音: [ˈnoubel ˈpraiz](ノウベル・プライズ)のように第一音節にアクセントがあるので注意が必要。

生涯
スウェーデンのストックホルムにて、建築家で発明家のイマヌエル・ノーベル(英語版) (1801–1872) とカロリナ・アンドリエッテ・ノーベル (1805–1889) の4男として生まれた[2]。両親は1827年に結婚し、8人の子をもうけた。一家は貧しく、8人の子のうち成人したのはアルフレッドを含む4人の男子だけだった。父方の先祖にスウェーデンの科学者オラウス・ルドベック (1630–1702) がいる。幼少期から工学、特に爆発物に興味を持ち、父からその基本原理を学んでいた。

事業に失敗した父は1837年、単身サンクトペテルブルクに赴き、機械や爆発物の製造で成功。合板を発明し、機雷製造を始めた。1842年、父は妻子をサンクトペテルブルクに呼び寄せた。裕福になったため、アルフレッドには複数の家庭教師がつけられ、特に化学と語学を学んだ。そのため英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語で流暢に会話できるようになった。学校に通っていたのはストックホルムでの1841年から1842年にかけての18カ月間だけだった。


化学の家庭教師として雇われたのは化学者ニコライ・ジーニン(英語版)である。その後化学をさらに学ぶため、1850年にパリに行き、テオフィル=ジュール・ペルーズの科学講座を受講している(アスカニオ・ソブレロは彼の生徒の一人)。翌年にはアメリカに渡って4年間化学を学んだ。そこで短期間だが発明家ジョン・エリクソンに師事している。その後、父の事業を手伝う。最初の特許を出願したのは1857年のことで、ガスメーターについての特許だった。

クリミア戦争 (1853–1856) では兵器生産で大儲けをするが、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し、父は1859年に再び破産する[2]。父は工場を次男のリュドビック・ノーベル(英語版) (1831–1888) に任せ、ノーベルと両親はスウェーデンに帰国した。なお、リュドビックは受け継いだ工場を再開して事業を発展させた。ノーベルは爆発物の研究に没頭し、特にニトログリセリンの安全な製造方法と使用方法を研究した。ノーベル本人がニトログリセリンのことを知ったのは1855年のことである(テオフィル=ジュール・ペルーズの下で共に学んだアスカニオ・ソブレロ(英語版)が発見)。この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発実験に成功。1863年にはスウェーデンで特許を得た。1865年には雷管を設計した。ストックホルムの鉄道工事で使用を認められるが、軍には危険すぎるという理由で採用を拒まれる。

1864年9月3日、爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。ノーベル本人も怪我を負う。この事故に関してはノーベル本人は一切語っていないが、父イマニュエルによればニトログリセリン製造ではなくグリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止されたためハンブルクに工場を建設。ニトログリセリンの安定性を高める研究に集中した[3]。また合成者のアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero) に対し充分な対価を支払った。

1866年、不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴し、1867年アメリカとイギリスでダイナマイトに関する特許を取得する。しかしシャフナーによる執拗な追求はその後も続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案まで用意されたため、軍事における使用権をシャフナーに譲渡。

1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイトと名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、一躍世界の富豪の仲間入りをする。
1875年、ダイナマイトより安全で強力なゼリグナイトを発明。1887年にはコルダイトの元になったバリスタイト(英語版)の特許を取得している。

1878年、兄リュドビック(英語版)とロベルト(英語版)と共に現在のアゼルバイジャンのバクーでノーベル兄弟石油会社(英語版)を設立。この会社は1920年にボリシェヴィキのバクー制圧に伴い国有化されるまで存続した。

1884年、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれた。また同年、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。さらに1893年にはウプサラ大学から名誉学位を授与された。

1890年、知人がノーベルの特許にほんのわずか変更を加えただけの特許をイギリスで取得。ノーベルは話し合いでの解決を希望したが、会社や弁護士の強い意向で裁判を起こす。しかし1895年最終的な敗訴が確定する。

1891年、兄リュドビックと母の死をきっかけとして、長年居住していたパリからイタリアのサンレーモに移住。

1895年、持病の心臓病が悪化しノーベル賞設立に関する記述のある有名な遺言状を書く。病気治療に医師はニトロを勧めたが、彼はそれを拒んだ。1896年12月7日、サンレーモにて脳溢血で倒れる。倒れる1時間前までは普通に生活し、知人に手紙を書いていた。倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたという。これが最後の言葉となった。急ぎ親類が呼び寄せられるが、3日後に死亡した。死の床にも召使がいただけで、駆けつけた親類は間に合わなかった。現在、ノーベルはストックホルムのNorra begravningsplatsen(北の墓地)に埋葬されている。

§私生活
ヨーロッパと北米の各地で会社を経営していたため、各地を飛び回っていたが、1873年から1891年まで主にパリに住んでいた。孤独な性格で、一時期はうつ病になっていたこともある。生涯独身であり、子供はいなかった。伝記によれば、生涯に3度恋愛したことがある。最初の相手はロシアの娘アレクサンドラだが、彼のプロポーズを拒絶した。

1876年には結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。しかしベルタには既にアートゥル・フォン・ズットナー(ドイツ語版)という婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。この2人の関係はノーベルの一方的なものに終わったが、キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞創設に関連していると考えられている。そして1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞。


ノーベルが晩年に使用していたスウェーデンのマナー・ハウス。ボフォース社が所有
また同じく1876年、当時20歳のゾフィー・ヘス(Sofie Hess)と出会い、交流が始まる。ゾフィーとの関係は18年間続き、218通の手紙を残した。しかし1891年に、ゾフィーが他の男(ハンガリー人の騎兵隊の将校)の子供を宿していることが分かり2人の関係は急速に冷えた。ゾフィーはこの子供の父親と結婚。ノーベルの死後、ゾフィーはこれらの手紙をノーベル財団に高額で買い取らせることに成功したためすべてが残っており、またノーベル財団により1955年から公開もされている。

正式な高等教育を受けていないが、ノーベルはスウェーデン語、フランス語、ロシア語、英語、ドイツ語、イタリア語が堪能だった。また少年時代から文学に関心を持っており、特にバイロンとシェリーの詩に熱中して自らも詩を書いていたが、それらのほとんどは晩年に破棄された。最晩年に書き上げた戯曲「ネメシス」という作品はベアトリーチェ・チェンチを主人公としたストーリーで、シェリーの『チェンチ』が着想の一部になっている。これはノーベルが亡くなったころ印刷されていたが、スキャンダラスで冒涜的な内容だったことから3部だけ残して全て廃棄された。残っていたものをベースとして2003年、スウェーデンで2言語版(スウェーデン語とエスペラント)が出版され、その後スロベニア語やフランス語に翻訳された。2010年にはロシアで新たな2言語版(ロシア語とエスペラント)が出版されている。

§発明
ニトログリセリンの衝撃に対する危険性を減らす方法を模索中、ニトロの運搬中に使用していたクッション用としての珪藻土とニトロを混同させ粘土状にしたものが爆発威力を損なうことなく有効であることがわかり、1867年ダイナマイトの特許を取得した。

同年イングランドのサリーにある採石場で初の公開爆発実験を行っている。また、ノーベルの名は危険な爆薬と結びついていたため、そのイメージを払拭する必要があった。そのためこの新爆薬を「ノーベルの安全火薬」(Nobel's Safety Powder) と名付ける案もあったが、ギリシア語で「力」を意味するダイナマイトと名付けることにした。

その後ノーベルはコロジオンなどに似た様々なニトロセルロース化合物とニトログリセリンの混合を試し、もう1つの硝酸塩爆薬と混合する効果的な配合にたどり着き、ダイナマイトより強力な透明でゼリー状の爆薬を生み出した。それをゼリグナイトと名付け、1876年に特許を取得した。それにさらに硝酸カリウムや他の様々な物質を加えた類似の配合を生み出していった。ゼリグナイトはダイナマイトより安定していて、掘削や採掘で爆薬を仕掛けるために空ける穴に詰めるのが容易で広く使われたため、ノーベルは健康を害したがそれと引き換えにさらなる経済的成功を得た。その研究の副産物として、ロケットの推進剤としても使われている無煙火薬のさきがけともいうべきバリスタイト(英語版)も発明している。

§遺産とノーベル賞
1888年、カンヌを訪れていた兄リュドビックが死去。この時、ノーベルと取り違えて死亡記事を載せた新聞があり、見出しには「死の商人、死す」とあった。さらに本文には「アルフレド・ノーベル博士: 可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれており、このことからノーベルは死後の評価を気にするようになったという。

1895年11月27日、財産の大部分をあてて国籍の差別なく毎年授与するノーベル賞を創設するとした遺言状に署名した。税と個人への遺産分を除いた全財産の94%、3122万5千スウェーデン・クローナを5部門のノーベル賞創設に割り当てている。これは当時の為替レートで168万7837ポンドに相当する。

ノーベルの莫大な遺産の相続をめぐって、兄弟やその子達が当然のようにトラブルを起こしたために指名された相続執行人は苦労した。ノーベル本人は1890年に起こした訴訟の経験から弁護士を信用しておらず、直筆で自分だけで遺言状を書いたために遺書の内容には矛盾点が多く、このことも相続執行人を悩ませた。

遺言で賞を授与するとされた分野のうち最初の3つは物理学、化学、医学または生理学だった。4つめは「理想的な方向性の (in an ideal direction)」文学とされ、5つ目は軍縮や平和推進に貢献した個人や団体に贈るとされている。数学分野の賞は含まれていなかった(アーベル賞も参照)。ノーベル本人はこの賞に名はつけていないが、現在この賞は「ノーベル賞」と呼ばれている。

文学賞については "in an ideal direction"(スウェーデン語では i idealisk riktning)の解釈が問題となった。これについてスウェーデン・アカデミーは "ideal" を「理想主義的」(idealistic、idealistisk)と解釈したため、ヘンリック・イプセンやレフ・トルストイらが受賞できない結果となった。その後解釈は修正され、理想主義的ではないダリオ・フォやジョゼ・サラマーゴといった作家も受賞するようになった。

ノーベルは遺言状の内容について生前誰にも相談しなかったため、物理学賞や化学賞についても選考方針に解釈の余地があった。遺言状には、物理学における発明・発見、化学における発見・改良に賞を与えると記されていた。つまり工学的貢献も念頭にあったと見られるが、科学と工学の区別については何も記されていなかった。ノーベルが選考者に指定した組織は科学寄りだったため、それらの賞は工学者や発明家ではなく科学者に与えられるようになった。

2001年、ノーベルの兄弟のひ孫 Peter Nobel (b. 1931) がスウェーデン国立銀行に対して「アルフレッド・ノーベルを記念」した経済学者への賞を上述の5部門とは区別するよう依頼した。このことに現れているように、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を「ノーベル賞」に含めるか否かについては議論がある。

§その他
現在もノーベルの名を冠する会社は欧州各地にあり、爆薬製造や化学工業を行っている。特にドイツのダイナマイト・ノーベル社は、対戦車兵器パンツァーファウスト3やケースレスライフルH&K G11用弾薬など、現在も兵器の開発・製造を行っている。

日本の菓子製造会社で大阪市生野区に本社があるノーベル製菓はノーベルの名を冠しているが、ノーベル本人とは全くの無関係である。1949年に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞した際にノーベルの登録商標を取得、1959年に社名をノーベル製菓に変更しているためで、ノーベル製菓の初代社長が湯川秀樹と交友関係であったことから単にノーベル賞に因んだ社名を付けただけである。
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2014年12月21日

「クリスマスを避けるために行く国トップ10」第一位は日本



宗教的あるいは個人的、思想的な理由などでクリスマスを祝う習慣がなく、クリスマスの大騒ぎを避けたいと思っているなら、日本やタイ、トルコへの旅行がおすすめだ。

あるいは、イスラム教徒が大半を占めるサウジアラビアやアルジェリア、イランなどの国を訪れて、古代ペルシャや古代文明の数々を味わい、クリスマスが全く存在しない休暇を楽しむことも可能だ。

これらは、「クリスマスを避けるために行く国トップ10」のリストを公開した旅行サイトのスカイスキャナー(Skyscanner)によるおすすめの旅行先。

リストの第1位は日本。サンタをたまに見かけるかもしれないが、日本はクリスマスが祝日でなく、12月25日も人々は普段通り仕事をする。

また旅行ガイドブックを出版するラフガイド(Rough Guides)のまとめた「2015年に訪れるべき国トップ10」で第1位に輝いたイランも、今回のリストでランク入りした。古代ペルシャの史跡やバザール、砂漠、雪を頂いた山、そして「忘れられないほど美しいモスク」などが見どころだ。

クリスマスを避けるために行く国トップ10は以下の通り。

1位日本
2位サウジアラビア
3位アルジェリア
4位イラン
5位タイ
6位ネパール
7位トルコ
8位北朝鮮
9位中国
10位バハマ

☆雑感・一言
日本は仏教国なので当たり前かもしれないが、結構便乗してクリスマスを楽しみ騒いでいる人たちを見かけます。
日本が「クリスマスを避けるために行く国トップ10」の第一位なんてさびしすぎませんか。
これからはクリスマスで大いに騒ぎましょう。
posted by 8cafe at 08:10| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月16日

電子レンジ内から発煙、火災報知機が鳴り消防車数台が駆けつける騒ぎ 電子レンジの自動調理は肉や野菜、水の分量を守って使うこと

割れたジャガイモと耐熱皿…怖い電子レンジ「誤使用」事故

 簡単に食品を調理できることから、毎日の生活に欠かせないという人も多い電子レンジ。ただ、ちょっとした使い方の間違いでトラブルが発生することがある。メーカーは取り扱い説明書で注意すべき事項を分かりやすく表記する努力をしているが、トラブルはなくならない。

 ◆自動調理で過加熱

 関西地方に住む20代の会社員女性が先月、購入したばかりの電子レンジでジャガイモを加熱していたところ、電子レンジ内から発煙、火災報知機が鳴り消防車数台が駆けつける騒ぎとなった。

 火災は免れたものの、ジャガイモは炭化し、耐熱皿が割れた。電子レンジの内部も焦げて真っ黒になってしまった。室内に充満した焦げ臭いにおいは1カ月たっても消えないままだ。

 女性の電子レンジには、利用者が時間や出力を設定して加熱する「手動」と「肉ジャガ」や「ビーフシチュー」などレシピに合わせて自動的に加熱する「自動調理」の機能があった。

 女性は、カレーを調理していた際、まだ堅かったジャガイモだけを取り出して耐熱皿に入れ、「肉ジャガ」の自動調理の設定で加熱していたところ、発煙した。

 説明書によると、自動調理は肉や野菜、水の分量を守って使うことが前提。「肉ジャガ」の設定の場合、材料をすべて耐熱皿などに入れ、40〜60分加熱する。説明書ではこの設定がカレー調理の仕上げにも使えると記載されていた。

 女性がメーカーに連絡したところ、メーカーの担当者は「少量の場合は、自動調理ではなく手動の設定で様子を見ながら加熱すべきでした」と説明した。女性は「ジャガイモは少量ではなかったし、自動調理の設定は、問題が起きれば自動的に止まるものと思っていた。説明書もきちんと読んでいたのに…」と語る。

 ◆消費者は声上げて

 電子レンジは、電波が食品に含まれている水の分子を振動させて摩擦熱を発生させることによって、食品を加熱する。水分が少ない食材を少量、加熱した場合、短時間で水分が蒸発し、焦げた食品から煙が出たり発火したりすることもある。

 イモやゴボウ、ニンジンなど水分の少ない野菜については、加熱時に発煙したり、発火したりする事故が全国の消費生活センターなどに報告されている。

 消費生活アドバイザーの池見浩さんは「説明書と異なる使い方をしてトラブルが起こった場合、消費者の責任は免れない」と前置きしたうえで、「説明書が分かりにくいためにトラブルが起こっているケースもある」と指摘する。

 メーカーは説明書で大きな事故につながりかねない禁止事項を大きな文字で説明するなど工夫を凝らしているが、「トラブルが起こって初めて気付くことも少なくない」(池見さん)。

 池見さんは「説明書を読んで分かりにくいところがあったら、メーカーに問い合わせてほしい。消費者が声を上げることで企業が問題に気付けば、商品や説明書が改善され、誤った使い方による事故をなくすことにもつながる」と話している。

 ■庫内の汚れも発火原因に

 独立行政法人、製品評価技術基盤機構(NITE)に通知された電子レンジに関係する事故は、平成18年度から22年度の5年間に706件あり、そのうち103件(14.6%)が消費者の誤使用や不注意な使い方によるものだった。

 多いトラブルは、庫内に汚れが付着したままの加熱や食品の過加熱で炭化し発煙・発火▽飲み物を過加熱し突沸(急に沸騰する現象)▽哺乳瓶の消毒中に破裂−など。

 NITEは事故防止のために、内部のこまめな掃除▽自動の加熱設定は定められたもの以外に使用しない▽少量の食品は手動の加熱設定で様子を見ながら加熱▽飲み物やとろみのあるものは加熱前によくかき混ぜる−などを挙げている。
posted by 8cafe at 13:57| Comment(0) | 家庭・生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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